今。
この原稿を読んでくださっているのは、どんな方だろうかと思いを馳せながらPCに向かっています。
バイオグラフィーワーク(以下、BW)に関心があるという点でワタクシたちは今、世界を共有していますね。
リレーコラムを拝読するとジュピター会員は、様々な分野や場所でお仕事をされているのがわかります。
私は、舞台芸術のフリーランススタッフとして各地の劇場でお仕事をしておりまして、その仕事の性格上、数か月(時には数週間)ごとに顔ぶれの違う人々と集い、日々作品を上演し、お別れいたします。
演劇やダンスなどを鑑賞するそれ自体、「あなたはわたし、わたしはあなた」を経験/体感できる(してしまう)「場」です。(だからこそ芸術は、ヒトが生きていくのに必須のモノと私は考えています)
と、同時に、舞台の裏側で同時に進行している、「年齢も背景も全くバラバラな人々が作品上演というゴールに向かって協働する」ことを繰り返す日々は、豊かな「あなたと私の出会い」に満ちています。
それは時にネガティブな出会いになってしまうことも当然あって、なので近年は稽古に入る前にハラスメント講習が行われたりもしています。
通常は、一方的に講義を受ける形で進行されますが、一期一会のカンパニーで対話やアートワークを通したBWをご一緒しながらハラスメントや安全安心な場について学べたら、実際的にそのカンパニーに変化をもたらすことができるのじゃないかなと思っています。
そう思うのは、数年前の旅公演中に8名で2時間程度の小さなワークをしたことがあって、その余波を今でも参加者の皆様から伺うことがあるからです。
小さなワークなのに静かに長く余韻を残して、実人生に影響を及ぼしていくのを意識できるBWに、私はとても惹きつけられます。
呼びかけるのは少しの勇気が必要でしたが、やれてよかったなと思っています。
同時にその後に継続できていない残念さも感じています。



先日、「客観的に老女である私たち」について母とおしゃべりをしました。
自分の姿はふだん自分では見えないこともあり、私はしばしば自分の年齢を実に幅広く認識しています。
3歳の私、19歳の私、36歳の私はそれぞれに存在しているのではなくて、全てが同時に融合的にいつもそこにいるのです。
「ワタシ」は、常に自分の全人生が内在していて、「老女の私」は、その先頭を歩んでいるところです。常に未知の道を切り開いているわけなのですが、時々、私もあなたもそれを忘れてしまいます。
母は、「母に『その時になったらわかる(それまではわからない)』と言われていたけれど、本当ね」と「老女扱い」されることの違和感を語っていました。
私も高齢になるにつれ、職場で気を使われることが多くなりました。
楽させてもらうこともあれば、傍に置かれている気分になることもあります。
肉体の衰えという「高齢」は、フットワーク軽く物理的解決を提供できなくなっていきます。
経験豊富という「高齢」は、蓄積して智慧として場へ貢献するものと思われていますが、私は体験を経験してきているだろうか。
経験を智慧として育んできているのだろうか。
きちんと(高齢/ベテランという権力勾配を意識して)仕事場の若者たちと出会えているのだろうか。
仕事場にて、機会があればBWというものがあること、それを演劇界で実践したいこと、それが必ず演劇界に実際的に貢献することを話したりしています。
興味を持ってくださる方もいらして、時折、お休みを合わせて一緒にふたりのワークができる時もあるのですが、どうやったら演劇の場にBWを持ち込むことができるのか、が課題です。
とっとと解決せねばならぬと思っていますが、なかなか良案が思い浮かびません。
どのようにしたら私は、自分の智慧でコミュニティに貢献できるのか?という問いとともに、もう還暦を超えて否応なしに演劇界との関わり方を近い将来変えねばならないだろう私が、本日も対話のある場を生きていこうと思います。
このテキストを読まれた方が、もしBWを実践されることがあったら、ほんとうに嬉しいです。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。明日も素敵なことがありますように。
(vol.29▶馬場 晶子/関東/4・6期)
※次回は、樋原 裕子さん(関東/1期)のリレーコラムです。どうぞお楽しみに。
