2023年は皆さんにとってどんな年だったでしょうか。私にとっては過去と現在がクロスする、少し不思議な年となりました。まったくバラバラであると思われた点と点が結ばれ線になり、さらに別の線と交差する。過去のその時はまったく意味が分からなかった出来事も、まるで今日のために準備されていた、命の流れの一部として仕込まれていたのだと、驚きをもって感じることがありました。
私がバイオグラフィーワークの学びを始めたのは、東日本大震災翌年の2012年のことでした。当時は夫の実家のある青森県弘前市に住んでおり、まだ幼い子どもの子育てや仕事のことで迷い多き日々でした。子育て本から知ったシュタイナー教育でしたが、自分の専門である医療の分野もあることを知り、ある方から「まずはバイオグラフィーワークでしょ」と勧められていたところにメールで舞い込んできた養成コース8期の募集に、藁にも縋る思いで(?)飛びついたのでした。それから10数年、自分でワークを主宰することはほとんどありませんが、ともに学んだ仲間やじわじわと身体に染むかのような学びの数々は、その後の私の仕事や人生の大きな助けになってくれていると感じます。
2024年は衝撃的な幕開けとなりました。石川の地震のニュースは心痛むものでしたが、被災地の方には心からお見舞いを申し上げるとともに、一刻も早く安全と平穏が訪れますことを祈念いたします。
思えば私が過ごした場所や人生の転機にも地震が関わっておりました。1995年の阪神・淡路大震災当時、私は熊本大学の医学部4年生でしたが、実家は大阪府豊中にありました。学生ボランティアとして参加した灘区の避難所では、倒壊した建物のはざまで元気に遊ぶ子どもたちの姿が今でも心に焼き付いています。2011年の東日本大震災の際、住んでいた青森県内の被害は部分的でしたが、大きな津波にのまれた三陸や仙台は大学院時代にかかわり、結婚生活をスタートさせた思い出深い地でもありました。2016年の熊本地震は学生時代を含む10年間を過ごした地で、よく遊びに出かけた阿蘇の赤橋崩落のニュースは、やはりとてもショッキングでした。
日本は地震大国ですが、震える大地の威力を前にしては人間の無力さやはかなさを思い知らされずにはおられません。私たちは当たり前にあると思っていたものを失って初めて、日常の尊さに気づくのかもしれません。さらには、過酷な状況下でも元気に遊ぶ子どもたちのように、困難を乗り越えて進もうとするプロセスこそが重要なのかもしれません。
写真は、年末に娘と初めて出雲を旅した時のものです。出雲は時間の流れがゆっくりで、日沈む国とのことだけあってダイナミックな夕日にいたく感動しました。
皆さまにとってこの一年がかけがえのないものとなりますように…。
(vol.23▶菅原 知子/関東/8期)
※次回は、椎谷郁子さん(関東/8期)のリレーコラムです。どうぞお楽しみに。