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心の扉

 

今の「私」になるためには、バイオグラフィーワークとの出会いが必要でした。

 

長男長女の第一子として生まれ、大人の中で育ち、幼いころから敏感ですぐに体調を崩しては、熱を出す私。大人になってもそれは変わりませんでした。

 

母は私を心配し、先々を考え行動し、父は心配のあまり、こうしたらいい、この道を歩め、と安全な道を歩ませようとしました。

親となり娘を思う気持ちがわかるようになりました。心配だから、愛しているからこその行動、言葉にしていない思い。両親はきっと私を心配し、抱きしめているつもりだったと思います。けれど、私は首に縄をつけられているような、締め付けられているようにしか思えなくて、熱を出すたびに「またできなかった…」と自分を責めるばかりでした。

 


周りの大人の様子を見て、大人の望むことをする。誰かのために、誰かが喜んでくれることをする。それが私にとっての当たり前となり、母になってからは家族のために時間を使い、家族が望むことをしてきました。

 

けれど。なぜだかうまくいかない。何もかもうまくいかない。

「私なんて、大っ嫌い…」

私は母になってからも時折高熱を出して、寝込む日が続いていました。

 

大切な家族、子どもたち、ともに歩むパートナー。私も含めてなぜこんなにも苦しいのだろう…。

そんな時に出会った学びがバイオグラフィーワークでした。

「私のことを知りたい」

私の人生のどこかで何かを間違えたのなら、それを知りたい。そう思うようになっていました。

 

初めてワークに参加した日、たくさんの絵葉書の中から、自分の気持ちにあった1枚を選ぶことさえできませんでした。幼いわが子を置いてワークに出た日は、自分のことを責めました。少し大きくなった娘に、

「お母さんは自分勝手なことばかりしてずるい」と言われた時は、普段めったに感情を表に出さない夫の言葉に救われました。

 

「お母さんが学んだことはお母さんのもので、誰もお母さんから取りあげることのできないものだ。そしてその恩恵を自分たちがどれだけ受けているのか、お母さんが学んできてくれたからこそ今のわが家があるのに、それがわからないのか」と。

 

「私が学んで支えなきゃ」と思っていたのに、私が支えてもらっていた。行かせてもらっていた。頑なになっていた心をほぐしてくれたのは家族でした。

 

バイオグラフィーワークに出会って、自分の心を開いて話すこと、聞いてもらうこと、聞くことを重ね、やっと、ふとした時に自分の中から自然に出てきたこと。

ただ「そう、あなたはそう思うのね、私はこう思ったの」と誰かを責めず、判断をしないで、自分の心を開いて話す。ただそれだけのこと。でも、それができるようになるには時間が必要でした。

自分の過去に向かうことは、未来への一歩のために、今を生きること。

「今、私はね、こう思うのよ。明日のことはわからないけれど、きっと大丈夫。思うようにやってみたらいいのよ」

そう思えた時、「わが家は大丈夫」そう思えたのでした。

 

53歳になって、生まれてはじめて、私は熱を出さない1年を過ごしました。

やっと、やっとできた。

嬉しい。53年もかかってしまいました。

言いたいことや自分の思いを抑えていたら、本当の私の気持ちが

「違うでしょ、こう言いたいんじゃないの?」

それが熱になっていたのだと、やっと気づいたのです。

 

私、もう熱を出したりしないよ、自分の思うようにするね。

私が感じたことや思ったことを素直に言っても誰も困らない。大丈夫、私はひとりじゃない。

自分を自由にするということは、自分を信じて心を開いていくこと。

それは、両親、家族、仲間がいたからできたことでした。

 

誰かと対話をすることで開いていく私の扉。

私の学びはまだまだ続いています。

 

(vol.14▶酒井 美香/東海/9期

 

※次回は、中西 由加さん(東海/9期)のリレーコラムです。どうぞお楽しみに。