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出会い、分かちあい、ともに学ぶ

 シュタイナーや人智学との出会いは、息子がもたらしてくれました。偶然にも、彼が赤ちゃんの時に頻繁に通っていた母乳育児相談所の隣が「フォーラムスリー」というシュタイナーを学ぶ人たちが集う場所で、ある日、窓越しに見えた素敵なおもちゃに導かれ、恐々と足を踏み入れた、あの小さな扉が私の人生を大きく開いてくれました。私の人智学の学びは、子どもの成長とともにあります。子どもを育てることを通して学び、実践する場を与えられてきたと感じています。

 

 バイオグラフィーワークとの出会いも、その延長線上にありました。

 

 海外でひとり暮らし、働いてきた時間が長かったからか、独身の頃の私は肩肘を張っていて、なんでもひとりででき、この世の全てを知っているかのように感じていました。とんでもない思い違いです。

 

 40歳間近で結婚、出産して、子どもを育て始めたら、出来ないことや、わからないことだらけ。子どもが1歳半の頃に子育てが楽しくなって、仕事を辞めて初めて主婦となったのですが、なんだか不安で仕方なかった。それまで働いてひとりで生きていくことや、稼ぐことに重きを置いてきたので、無償で24時間稼働する母親という仕事がどれだけ尊いものなのか考えたこともなかったし、それをする自分に価値を見出すのが難しかったのです。

 

 自分の考え方、あり方は、生きてきた過程で築いてきた(あるいは刷り込まれた)価値観によるもので、私とは違うひとりの人間である息子と向き合うということは、それを見つめ直し、必要あれば壊していくことなのだと子育てを通して初めて気がつきました。

 

 また、40代に入り人生を客観的に見ることが増え、自分の人生の特徴に気づき始めました。たとえば、私の人生には対極の世界を往来し(たとえば和と洋、聖と俗、伝統と革新、生と死)、その対比が成長の基盤になっている感じがあるのですが、繰り返し現れるこの現象は何なのだろう、と疑問を持つようになりました。

 

 そんな時にバイオグラフィーワークに出会い、私の価値観はどうやって作られてきたのか、人生に繰り返し現れる課題や、偶然とは思えない人や出来事との巡り合わせには、どんな意味があるのか、そんなことを落ち着いて考えてみたいと思ったのです。

 

 養成コースの5年間は、人生をあらゆる方向から見つめる濃厚な時間でした。まるで謎解きのようにゆっくりと絡んだ糸がほぐれていき、私だけの人生の赤い糸がうっすらと浮かび上がってくるのを感じました。

 

 バイオグラフィーワークを始めると、今まで以上に人生が動き始めるというのを聞いたことがありますが、その言葉通り、5年余の間に人生は大きく動き、私は資格を取得して産後のご家庭を訪問する仕事を始め、母の最期を看取り、新居を構え、寝たきりになった父を呼び寄せ介護することになりました。あんなに苦手だと思っていた家事や育児が、好き&得意だと気づき仕事とするようになったことや、海外に永住していてもおかしくなかった私が、日本で両親の最期を看取ることになったことを、30代の私に教えてあげたら腰を抜かすことでしょう。

 

 人生本当にいろいろなことが起きますが、バイオグラフィーワークの学びを通して、靄に覆われ霞んでいた人生の見取り図がずいぶんと鮮やかに見えるようになり、私だけの人生の歩みをしっかりと進めていくべく、淡々と、でも意識的に生きるようになりました。

 

 ワークをともにしてきた仲間の皆さんや、主催するワークの参加者の皆さんの人生からも多くを学ばせていただき、人生というチャレンジに挑んでいるのは私だけではないのだと、とても心強く思ったり、それぞれの人生はその人だけのかけがえのないもので、勇気を持って一歩ずつ歩みを進める全ての人を尊いと心から感じるようになりました。一人一人が独自の色を持つのだから、この世界はカラフルで、豊かで、美しい。そして人生は出会いの連続なのですから、そこで織り上げられるタペストリーは無限大。なんとエキサイティングなことでしょう。

 

 バイオグラフィーワークとこのような深い関わりを持つようになるとは、出会いの時点では露にも思いませんでしたが、今となっては私の大切な一部。私の成長を促し、新しい風景を見せてくれ、希望の羽が生えた背中を何も言わずにそっと押してくれる親友のようなものかもしれません。これからもバイオグラフィーワークを通して、たくさんの皆さんと出会い、分かち合い、ともに学んでいくのを本当に楽しみにしています。

 

(vol.4▶いづみ 恭子/関東/9期

 

※次回は、宮地 陽子さん(関東/4期)のリレーコラムです。どうぞお楽しみに。